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執筆者の写真天野圭介

里山のお手入れ

先日、浜松市のとあるお宅の裏山の手入れをさせて頂きました。


そのお宅は、昔大名行列の際に人々を泊めた宿屋だった場所で、立派な石垣や屋敷が残ったとても歴史を感じるお宅です。裏には椎の木が大きく育った森があり、浜松市街地でも数少ない里山の雰囲気を残した場所です。その場所の椎の木をボランティアの方々が伐採したのですが、森の中に大きな風穴が空いてしまい、残された木が風であおられ倒木の危険がある状態になっていました。その場所は元河原の場所で、ボロボロと崩れやすい地層に丸石が混じり、大きく育った路肩の木々は根の支持力が不十分で、根っこごと転倒してしまう事例が出てきていました。また、車道に大きく枝が張り出し、通行人に危険を及ぼす可能性があった為、倒木や落下の危険性のある枝の枝落としをさせて頂くことになりました。


木を切る場合、私は必ず周辺環境全体の状態とその木とのバランスを見るようにしています。木々は様々な役割を果たしてくれている為、安易に伐採すると返って住環境を悪くしたり、問題を生じさせる原因となることがあります。風当たりが強くなる、風道が変わる、根の支持力や吸水力、土壌を団粒化させる力を失うなどなど。「木を見て森を見ず」とならないよう注意が必要です。


このお宅の周辺環境は昔広大な森林だった場所の縁に位置し、風や光をコントロールする森の玄関口でした。その広大な森も宅地化が進み、裏山は今や切り取られた森の一画に。椎の木も昔は切っては萌芽更新されて煮炊きなどに使われていたと思うのですが、里山に人が入らなくなってからは大きく育ち、安定した状態を作ろうとじっと閉じた森の状態に。林縁部を茂らせて強い風や光の進入を遮り、林内にはそよそよと風が流れる薄暗い森。そこに伐採した場所から強い光と風が入り込み、巨木たちの枝が枯れたり痛みが出始めています。土地が私有化されてからはそれぞれ個人の責任で土地の管理が行われるようになった為、里山の保全には大きなお金と労力がかかるようになってしまいました。人が暮らしの中で森に入り、必要なものをそこから得ることで森に手を入れ、結果的に他の生き物の棲みかや生き物の多様性を生み出していく。そんな人間に与えられた役割を果たす暮らし方がもう一度この里に生まれてくれば、この里山はまた愛しい宝物として生まれ変わってくるでしょう。


木の上から眺めていると、街道にはひっきりなしに車が往来しています。でも、裏山の竹や木々は荒れ放題。この現実は置き去りにされ、人は日々世話しなく動き回っています。「世話しなく」動き回る結果、一番身近な暮らしの環境が荒れていく。必要なものは外から買ってきて、身近な資源は使われない。世話できないのは、お金や経済の仕組み、働き方の仕組み、家族構成、価値観の変化などなど、実に様々な縛りや分断の積み重ねから起こっていると思います。循環する暮らしを育み、日々周りの環境から必要なものを得ていると、とてもやることが多いです。田んぼに畑、草刈りに山仕事。季節に合わせて暮らしていかないといけないので、まった無しでお世話のタイミングはやってきます。少しだけでも暮らしに周りの環境のお世話ができる時間が持てると、人は段々と発想や行動が自由になってくると思います。お金と時間からの解放。自分の活動を通して、生業を通して、ご依頼頂き貴重な機会を与えて下さる方々に、少しでも何かのお役に立てれば嬉しいなと思います。


このお施主様には周辺環境の説明、山の状態の説明などをさせて頂いたのですが、その後から上流から自宅前を流れる沼の水の流れを改善する様、コツコツ水路の泥さらいを始めて下さいました。野菜や果樹も育てておられ、庭木も愛着を持って手入れされており、とても素敵な方々です。こういう地域の環境を地域の人々で手入れしていく活動の輪が、今一度各地に起こってくる様、自分も努力していきたいなと改めて思いました。


(大きく育った裏山の椎の森)


(道路に張り出した枝の剪定)


(この木の樹上に悠々と枝を伸ばしていた楠からアンカーをとってのクライミング作業)


(森の縁にある沼地。各地域には要となる環境があるが、この森と沼地は密接に関わっている。この沼地の泥さらいと水の流れを整えてあげると、森はきっともっと良くなる。)





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